逃げた話

限界だった

私は、まだ姉のことは信じていたんだと思う

その日は姉と少し言い合いになったから特段家に帰りたくなかった

 

まあ、実家暮らしがどうなの?っていうところはあるかもだけど、もう何もかもに疲れてて一人暮らしをしたいと思っていたけど、何もできなかった。

ODもするようになってしまったけどずっとダルかった。

 

あの日、帰らずにもう死のうと思った。

薬とお酒と首吊り用のひもを用意して。

最後に少し楽しみがほしかったからネットカフェに入った。

 

一人の空間。

周りの音にびくびくしなくていい。

家にいるときはリスカや泣いてる時も耳を澄まして、常に気を張っていた。

 

あ、楽だ。

息ができる。

こんなに気持ちがすっきりして、頭の靄が晴れたような気さえした。

 

それでもまだ、死ななきゃって思ってた

親からは鬼電。帰らないとだけ連絡して電話には一切出なかったから。

だから、きっともういつもどうりには戻れない。

だからもう死ななきゃって。

 

首吊りをしようとして、ひもを首にかけて、

ゆっくりと体重をかけていった。

少し頭がぼーっとしてきた。

ふと、こんな楽な時間を過ごせて、ほぼ初めて生きるのが楽しいと思ったのに死ぬの?って思った。

 

冷静になった頭で考えた。

ずっと死にたい、死ななきゃって思っていたけど、そんなこともないのかもしれない。

冷静になった後はむかついた。

なんでこんなに私が苦しんだのに親のあんたたちはのほほんと生きているの?って。

 

どうすればいいかまだ決まっていなかったけど冷静になれたことは確かだった。

 

息がしにくくなった話3

ずっと溜め込んだ

弱音は吐けなくて、人はずっと前から信じることができなかったから頼ろうとも思えなかった。

 

バレない様にリスカをしてどうにかストレスを発散していた。

 

でも姉に、寝ているとき服が捲れて跡が見られてしまった。

泣かれてもうやめてって言われた。

根本的なことには踏み込んでほしくなかったから、大丈夫って、関わらないでって、突き放した。

 

嫌なことを溜め込んで、自分の気持ちを無視して、人に喜んでもらうために存在してるだけになってしまった 

人に傷つけられても大丈夫なように、自分で自分のことを傷つけた。

早く死ねば?

お前なんていらないよ

必要ない

なんで生きてるの?

 

もうずっと、死ぬことしか考えられなかった。

 

大学生、社会人になっても死にたい気持ちは変わらなかった。

 

病院に行きたいと思ったけれど未成年のうちは行ったことがバレてしまうと思った

でも、ずるずると引き延ばして気づいた時にはもう病院に行っても無意味だと思ってしまった。

 

親の前で泣いても、ご飯を食べなくても。

言われた言葉は「もう十分だよ」だけだった。

姉も母も精神科に関わったから、もういい、。

私は私なのに。

目に見えることが普通なら何も関わってこなかった。

 

息がしにくくなった話2

地獄

高校生。

もともと話すのが苦手だったから必然的に1人になった。

都合のいい時だけ友だち面されて、一番そばにいてほしい時はそばにいてくれない。

まあ、相談なんてできはしなかったけれど。

 

思春期と重なった、

母親がうざかった、

学校でも家でも心休まる時がなかった。

 

ほんの少しでも1人でゆっくりする時間がほしかった。

学校終わりから夕食までのほんの2時間とかだったかな。

 

適当に店を見て帰ろうと思ってた。

母親から帰りが遅いね…と連絡が来ても無視をした。

でも、

帰ったら母親が壊れていた。

 

「太陽の導きが…」「この皿があるから皆おかしいのよ…!」

 

他にも何か言っていたけれど、本当に壊れたなって思って怖かった。

今まで信頼して、一番身近で関わってきた人が話が通じなくなった。

 

私が帰るの遅くなったから?

私の態度が悪かった?

自分を責めた。

 

夜だったから次の日に病院に父と姉が付き添いで行った。

私は連れて行ってもらえなかった。

全員で行っても邪魔だってわかってるけれどね、仲間外れにされた気分だった。

ただでさえ学校行きたくないのに。

 

地獄の日々

母が精神科に入院した。

家事は父がメインで姉もよく手伝ってた。

私だって手伝ったけどそんなに力になれることは少なかった。

不器用だし、父や姉のほうがテキパキできてしまっていた。ああ、また自分を責めてしまう。

 

そんな中で、父から私は1人呼び出さた。

「ママが今大変なのはわかってるよね?」

「お前は全部我慢しろ、」

「もっと頑張って」

…私だって頑張ってるよ?

息できる場所もなくなって死にたくなった

リスカしたし、人がいないところでずっと泣いていた。

 

でも、まだ頑張れっていうんだよね…

私はどこで弱れをはけばいいの?

 

息がしにくくなった話1

なんとなく、ずっと生きてはいけないと思っていた

私はずっと家族が嫌いだった。

最初の記憶は怒られて外に放り出されそうになったこと。

なんで怒られたかはもう覚えていないし、十数年前のことだから今とは治安も考え方も違ってた。

 

もちろん楽しい瞬間もあったけれど、ふとした時に「迷子にさせようと思った」「ちょっとした遊びだよ」と怖い思いをさせられたことも多かった。

 

楽しい記憶よりも辛い気持ちのほうが印象に残ってしまう。

自分は大切にされていないのかな、自分の気持ちは言わないほうがみんなのためなんじゃないか、

そんな風に思って自分の気持ちを言えないでいたら、素直に気持ちを伝えられる姉が親に好かれていた。

姉は成績優秀だったから特に好かれていたんだろうね。

私だって親から愛されたかった。

馬鹿な子のほうがかわいい、妹のほうが優しくされる、と姉は言っていたし、そう感じる瞬間もあったんだと思う。

 

私から見ると、家族の中で私だけ疎外感があった。部屋で一人こもっていた時、何も気にせず私以外の人たちが笑いあう声が聞こえた。

 

まだ小学生。愛がほしくて、「ねえ、ママ。家族の中でだれが一番好き?」

こんな質問答えるのは難しいと思う。

でも、私と母しかいないときだったから、忖度あってもいい。私だって言ってほしかった。

「みんな同じくらい好きだよ」

分かってたけど悲しかった。

 

まだ分からなかった

中学生の頃。姉が拒食症になった。水と砂糖しか受け付けなくなって親もすごく心配していた。

分からなかった。なんでつらい気持ちをみんなの前で出せるのか。

心配されるのは目に見えてるから。所詮その心配は自分が“いい人”に見られるためのものでしかないでしょう?

 

人に苦しさを見せて本心ではない心配されて、それでどうなるの?

 

結局自分の立場がめんどくさい人になるだけでしょう?

 

...まだ、わからなかった。